1982年5月9日・・・・
ついに5歳の大治郎はデビューレースを迎える。が、結果は ‘ビリ’ であった。

この時、父・隆さんは頑張った結果で半端な順位よりビリでも1番だったことを誉めたと
いう。今をときめくレーシングライダー加藤大治郎のほろ苦くも暖かいデビューレースの
エピソードだ。何についても父は良い所を誉め、長所を伸ばしていった。例え忘れ物NO.1
であっても ‘1番’ にこだわった。
一方、母も自立した男の子であるための教育を心がけ「男の子は人前では泣かない」
「ベラベラ余計なおしゃべりをしない」など徹底して接した。後に「あんなに無口になると
は思わなかった」と苦笑する。まだ泳げない頃、プールサイドにつかまる大治郎の手を
母は突き放した。ブクブク・・・・となっても。幼稚園のプールの時間に一人で飛び込んだ
大治郎を見て、先生達は大治郎が溺れたと思いパニックになったという。そう、母の愛
によりすでに泳げたのだ。

こうして世間の常識を周回遅れにしながら、大治郎は成長を続ける。時々、ファミリーレ
ストランの天井に登る、マンションの5階の手すりにぶら下がるなど数多くのエピソード
を残しながら 。


【レースシーンに慣れてきた】

【非凡な速さを見せ始めた頃】

 

【迫力のライディング】


【全日本ポケバイ選手権参戦】

 

【コーナーでインからパス】
 

【TOPに立つとそのままゴール】

 
 
天性の運動能力と日頃のやんちゃが作って来た体力が、ポケットバイクのライディング
を飛躍的に向上させて行く。この頃、いとこの長純くんや雄一くん、ノリックなども同じ
秋ヶ瀬サーキットで走っていた。数多くのレースを征し、筑波サーキットで開催された
1985年の全日本ポケットバイク選手権でついに総合優勝を成し遂げる。この時小学校
3年生、最初のチャンピオンである。


【定位置となった表彰台頂上】

 

【少年の頃の夢を・・・・】

( 全日本時代 )

 

【・・・・今も追い続ける】

 
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