5/8イタリア・ミサノ市“大ちゃん通り”オープニングセレモニー開催報告
5月8日 土曜日 AM10:00
かつて、GP参戦中に大治郎が住んでいたアドリア海に面するミサノ市にて、チームグレシーニを始めレース関係者、大勢のファンや報道人がかけつける中、Daijiro Katoの名前がつけられた道路開通式が晴れやかに催された。
合計約600mほどの区間で、中央に植栽が植え込まれた美しい通りが完成。あらゆる年齢層の大治郎ファンが集結し、数百台にもなるバイクのクラクションを大治郎にも届けと言わんばかりに、一斉に鳴らしながら、初めての通行車としてゆっくりとデモ走行をした。
サンドロティラフェッリ ミサノ市長
「一年前、大治郎の突然の訃報はミサノ市を真っ暗な闇の中に包みこみ、人々は言いようのない悲しみにくれ、彼を想いながら涙を流し続けました。その生前の功績や、温厚な人柄は、国は違えどイタリアの人々を魅了し、今となっては彼がこの町を選んで住んでいてくれた事をとても誇りに思います。
もともと、ミサノ市は2輪、4輪問わず、市民が簡単にレースに親しめるサンタモニカサーキットがあり、小さな頃から当たり前のようにモータースポーツを身近に感じることができる町なのです。今までの古いサーキットゲートを裏門にし、メインゲートを新しく整備させる予定で、そのメインゲートに通じる新しい道路がこのたび立派に完成しました。そこに、家族の了解を得、大治郎さんの名前をつけさせてもらう運びとなったわけです。
道路の周りにはグレシーニチームからの寄贈により、日本の象徴である桜の木々を植え、2箇所に“viale Daijiro Kato”の道路標識が立てられました。ここで育つモータースポーツファンの永遠の道しるべとなることでしょう。
遠い異国の日本と、この道を通じて交流がもたらされ、本日とても素敵なできごと(開通式)が達成されました事は、大変喜ばしい限りであります。偉大なる私達の友人、Daijiro Kato に本当に心から感謝いたします。又、遠くから大治郎さんのご家族もお越しいただき、ありがとうございました。」
2002年8時間耐久レースのパートナーとなり見事優勝を果たしたコーリンエドワーズ選手や、ともにバトルを繰り返したマックスビアッジ選手、全日本時代からの友人玉田選手も、この素晴らしい瞬間を見逃すことはできないと、多忙の中かけつけ、市長の言葉に耳を傾けた。
時を越えて、“viale Daijiro Kato”はこの町に存在し続け、日本から来た小さな愛くるしい、且つ偉大な天才ライダーがこの町にいた事を、ミサノの人々は熱く語り継いで行くはずだ。
いつまでも。いつまでも。
そして、毎年春になり、鈴鹿の桜並木が咲き乱れる同じ頃、大治郎のもう1つの母国イタリアでも、この通りのローザ色の小さな花々は満開になり、静かに香り漂うことであろう。
文:山下じゅん子
毎年、シリーズチャンピオンと読者人気投票により選ばれた者にのみ授与される
モトスプリント雑誌社からの“Casco de Oro賞”が大治郎に捧げられた。
大治郎家族からミサノ市に寄贈されるHONDAスクーター。
2001年 マレーシアGP、大治郎がチャンピオンを確定させたレースで
実際に使われたカウルを装着したマシン。
固有名詞の場合、“viale D.Kato”と短縮されるのが通常だが
“viale daijiro kato”と加藤大治郎に敬意を表しフルネームとなっている。