カタルニアGPの決勝終了後すぐ、大治郎、宇川、バロスの3選手は、車でバルセロナの北にあるジローナという空港まで移動して、そこからチャーター機でフライト。翌月曜の夜には鈴鹿サーキットに戻っていた。ハードなどと簡単には表現出来ない過密なスケジュールも、誰一人代わることの出来ないmotoGPライダーという才能を持っているからこそなのだが、体だけでなく精神力もタフでなくてはやって行けない。 変革の年を迎え、鈴鹿8時間耐久レースもよりレベルの高い戦いを求められそうな気運の中、大治郎達は6月18〜20日の3日間のスケジュールで多くのテストプログラムを消化した。


時差ボケによって、早朝に目を覚ました大治郎。初日の朝は雨が残るあいにくの天気だった。それでも、体を慣らすためにコースイン。前日にはGPの2ストロークマシンでレースを戦い、今日は4ストロークのスーパーバイクで鈴鹿サーキットを走っている。さすがに、グランプリ生活も3年目ともなると慌てる事無く、マシンのポジションを確認してコースの状況を把握した走りで各部のチャックを終える。
天候は急速に回復を見せて、午後には青空が広がる。予定を変更して、午後の走行時間を早め、走行時間が延長された。3日間でこなさなくてはならないプログラムが山積しているのだ。午後の序盤は、HRCの占有走行ではなく、一般の走行枠に混じっての走行となった。大治郎はドライの路面に、ゆっくりと体を慣らしていた。
コースオープンから10分も経たない時間で、モニターにCABINレッドのVTR1000SPWがグラベルで倒れている状況が映し出される。何と大治郎が130Rで転倒してしまったのだ。ピットには一瞬緊張が走った。しかし、どうやら大治郎は立ち上がって歩いている・・・安堵のため息がスタッフからもれる。幸いオフィシャルに連れられて車で戻って来た大治郎は無傷だった。ほとんど初心者に近いライダーが130Rで転んでいて、黄旗が振られていたので減速して、グラベルゾーンで寝転がっているライダーが危ないなぁ・・・何て思いながら走っていたらいきなり自分も転倒してしまったようだ。原因は、前車の転倒時に撒かれたオイルだったようだ。予期せぬパプニングをピットで迎えた他のライダー達やスタッフも「史上最も軽症で済んだ130Rでの転倒」だと苦笑い。マシンも思ったよりダメージが少なく1時間程で修復が完了。大治郎は午後も精力的に走行を繰り返した。この日は、11号車の2台を宇川、大治郎。33号車を全日本の玉田、桜井ホンダ号をバロスがそれぞれ走らせた。



2日目は朝から快晴。週末に全日本選手権があるため、玉田と桜井ホンダの武田はこの日で移動となる。この日の33号車は岡田全日本監督が担当。夏と云ってもいいくらいの陽射しの下、炎天下の午後2時過ぎからロングランのテストが行なわれた。大治郎が先頭を走り、宇川、岡田の順で30周をハイペースで走るのだ。「タイヤをいたわり、燃費効率を良く、速いラップタイムで最後まで走りきって!」という監督の言葉を背に選手達はコースイン。1時間を越えるハイペース走行を、想定されたラップタイムを上回り完走。ライダーとマシンのポテンシャルの高さが証明された。大きな仕事を成し遂げ、上気した顔でマシンの状況を話すライダー達の表情にも自信が覗える。この日は、夕方以降も夜間走行のテストやピット作業のチェック、ライダー交代の練習と、8耐ならではのテストを行なった。

せっかくの日本を堪能出来るのは夜の食事だけというGPライダー達だが、大治郎に至っては時差ボケで食事中に眠ってしまう始末。メニューが来る度、起こされて食べる。

2日間でおおよそのテスト項目を消化して、夜空を見上げながら「明日は雨が降ってくれると、確認したいすべての項目がテスト出来るのだけどなぁ」と呟く小野監督の声に応えたのか、鈴鹿の空は雨雲を集めた。最終日は天気予報の曇りを裏切り、ホンダとして望む雨中のテストとなった。常に大治郎は宇川を上回るタイムをマークして、好調さを見せてくれた。雨の走行でもそれは変わらなかった。完全にプログラムを終了する事が出来た3日間のテストを終え、大治郎は隣のピットに用意されたNSR500に跨る。このテストが終わると、週末には次のオランダGPが待っているため、乗り換えの難しい4ストロークから2ストロークへ体を逆に慣らすためである。雨の中のGPマシンはストレートでのシフトアップですら、マシンがスライドしていた。「3周くらいは、このまま体が慣れないんじゃないかと思うくらいマシンの特性が違った。わずかな時間で3回は転びそうになった。」などと笑いながら、ライディングスーツを脱いだ。